D60~二軸になった変態D50 JNR type D60, transformed from Mikado D50
HTML-код
- Опубликовано: 17 окт 2024
- D60はどうしてもD50のおさがりのような感じがすることと、ナンバープレートがD6Xであることで、私の中ではあまりイメージが良くありません。
しかしながらD50が極端に減ってくると、大正時代の雰囲気を濃く残しているD60はD51や新鋭パシフィック達より、ノスタルジックな雰囲気をもっているものの、最新鋭機関車と同等以上に活躍する姿は貴重なものでした。
今回は、九州筑豊本線、久大本線、本州では磐越東線、北海道の根室本線でのD60の活躍を追ってみました。
なぜD60が蒸気機関車の再末期まで、長く使われたのかを解き明かしたいと思います。
#蒸気機関車 #D51 #D50 #D60 #磐越東線 #珍ドコ #まりも #重連 #後部補機 #C62 #苫小牧 #急行ニセコ #冷水峠
(Credit)
Kevin MacLeod の Flutey Sting は、クリエイティブ・コモンズ - 著作権表示必須 4.0 ライセンスに基づいて使用が許諾されます。 creativecommon...
ソース: incompetech.com...
アーティスト: incompetech.com/
Kevin MacLeod の Lift Motif は、クリエイティブ・コモンズ - 著作権表示必須 4.0 ライセンスに基づいて使用が許諾されます。 creativecommon...
ソース: incompetech.com...
アーティスト: incompetech.com/
Audionautix の Before Dawn は、クリエイティブ・コモンズ - 著作権表示必須 4.0 ライセンスに基づいて使用が許諾されます。 creativecommon...
アーティスト: audionautix.com/
「裸の太陽」という映画では、「主人公の機関助手が乗り組んだ貨物牽引のD60が、峠越えの時に砂撒き管が詰まってしまった為にデッキに腹這いになって手で砂を撒く」というシーンが忘れられない。それをきっかけに、貨物型でもっとも好きな蒸気機関車になりました。昨年、中古ながら(でもやっぱり高かった)ネットオークションでHOゲージの製品をやっと手に入れました!
ro Naさん、ご視聴頂きありがとうございました。その映画タイトルは記憶にありました。U Nextで見れるかと思いましたがありませんでした。
郡山区のD60-58号機で磐越東線でのロケだったそうです。
「ネコ・パブリッシング」刊の「SL甲組の肖像2」で、郡山機関区所属機の磐越東線での奮闘の回顧の項があり、特に線路等級が丙線で、許容軸重が13tしかなかったうえに急勾配も多数ある線区にとって救世主ともいえるカマで、D60への改造による投入で一番成功した線区だったようで、他の機関区で余剰になったカマまで多数郡山に配置替えされて、賑わっていたようです。
その中で、平(現いわき)からの夕方の客車と貨車を混結した混合列車は運転条件がとても厳しく、担当の仕業に当たった機関士と助士は、カマの状態を入換担当の機関士に確認するなど、相当神経を使ったとの証言をされていました…。
😅(苦笑)
…今の閑散状態の磐越東線では信じられない位に、セメント関連の超重量貨物列車が、小川郷〜大越間の粘土輸送と大越〜郡山間のセメント輸送で多数設定されて、DD51に置き換わるまで、老骨に鞭打つ程に獅子奮迅の活躍をしましたが、経年劣化と磐越東線での酷使で結構傷みが激しいカマが多く、郡山工場での全検時には整備に難渋したとの事でした…。
😅(苦笑)
…そのためか、郡山のカマは廃車後全て郡山工場で解体処分されて、保存機が残らなかったのかもしれませんね…。
😥
KENJI NAGANOさん、ご視聴頂きありがとうございます。貴重なコメントありがとうございます。磐越東線さほど興味あった路線ではなかったのですが、それほど大変だったことを認識しました。SL甲組の肖像は立ち読みはしたことがあるのですが、あそこの本は高いのであまり持っていません。ブームの始まった頃は常磐線に人気を奪われ、いつの間にかなくなってしまった路線ですね。
たまに山口博物館に行ったときにはいつもD60は見て帰ります。本州には一台(?)の機関車なのでとても貴重ですね
フリット爺さん、ご視聴頂きありがとうございました。1号機ですね。集煙装置をつけていますね。
D60がD50の軸重軽減機だったのは初耳です。てっきりD51、D52の発展形だと思っていました。
プラットホームの高さが低いのは、イギリスから輸入した時の名残で、今のような車内ではなくコンパートメントの客室で、側面が
「ドア-窓-ドア-窓-ドア-窓-ドア-窓」と連続していて、車体外側下にランボードがあって、車掌の通り道&乗降ステップの役割があり、接触しないように低くしたのです。
電車は大正末期に鋼製モハ30が登場した頃にはすでに混雑していて、ステップがあると乗降に時間がかかってしまうため、床面をフラットにしたのでプラットホームが高いのです。
プラットホームの高さはレール頭頂面から
電車ホームは1100㎜
客車ホームは920㎜
五木ひろしさんの「夜明けのブルース」を思いだします。
いぬさん、ご視聴頂きありがとうございました。詳細なご説明ありがとうございます。良く理解しました。電車が出来た時なぜ低床にできなかったのでしょう?床下に設備機器を置くからでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 様
それもありますし、モーターを装架する必要もあります。と、「吊り掛け駆動」だとモーターに車輪の衝撃がダイレクトに伝わるので、どうしてもモーターハウジングを肉厚な頑丈にせざるをえない。今の電車は車輪径が860㎜に対して旧形電車は車輪径が910㎜あるのはこのため。
低床は無理でしょうね。やったとしたら、東京モノレールみたいに、凸凹した床面になってしまうはずです。
なるほどです。
磐越東線の本機が一番に懐かしく、回想に走る蒸気機関車です。力強く川前駅付近の山線を行く後姿は忘れられません。
『窓閉めなさい!』と両親に注意されるも間に合わず。私のセーターは数年は煙の匂い残り、それが不思議に旅を思い出にしていました。Nゲージでリアルスケール出たら。最後のチンドコ編成は修学旅行用キハが運用されていて、少し黄色の強い車体も思い出しました。簡易ベットが一つ備えてありましたが、確か固定されていたような。
HMS HOODさん、ご視聴頂きありがとうございました。磐越東線は郡山から左右に出かけた時ちょっと寄った程度でした。友人に連れられて要田駅辺りだったと思います。
興味深い動画ありがとうございました。歌🎤もお上手です✨D60はかなり軽軸だったのですね!それでも空転に強く、長い貨物 勾配での旅客でも大活躍だったのですね。DD51とÇ57が苦戦する山口線の峠越えで強かったのも頷けます。
プ さん、ご視聴頂きありがとうございました。歌は下手ですが、以前はマイクもつと離しませんでした。軸重軽くして出力も落としたので、バランス良いんですよね。D62もそうやりました。
山口線はC57が走る路線じゃないのに…と思っていましたが、もう歴史長いですね。
へぇ~
勉強になりました😊
D60.50って、あまり興味なかったですが、この動画を見て、メジャーな車両よりカッコ良く見ひえるようになりました🎉
久大線にも、またSL走らせてもらいたいですねぇ。
大きさは分かりまさんが、大分の車両基地に綺麗な転車台を発見しました。
首藤竜三さん、ご視聴頂きありがとうございました。
Google Mapで転車台探すの好きです。日本のは大体見たと思いますが、海外のも探したりします。
D60ありがとうございます。天草に乗車した時の思い出深い機種です。直方の陸橋から1日中D60を見ていた記憶があります。トップナンバーが居た山口線、磐越東線、北海道も見たかったです。久大本線すら間に合いませんでした。D60の中では汽車会社製の角形ドームが特に好きです。
kwさん、ご視聴頂きありがとうございました。天草は最終的には12系だったですよね?汽車会社はデザインで独自路線を行くのかドームが角ばっていますね。C62も汽車会社のはすぐわかりますね。
D60本州だけでなく北海道でも活躍が有ったのですね✨
D51が入れない路線などでも活躍して
表舞台はD51やC62などが多いなか縁の下力持ちだったようですね✨
塚越さん、急行まりもは釧路まで夜行列車なので目立ちませんね。札幌以南ですとC62重連となるわけなのですが。その後根室本線はD51に取って代わられ、狩勝トンネルができたり無煙化が早かったです。一方D50は室蘭本線にいてかなり後年まで使われていました。
東京都心部は電車運転が多かったので、ホームの位置が高かった
それに対して地方路線は客車列車が多く、ホームの位置が低かったそうです
そのため、地方路線に気動車が入線した際にホームの高さが合わず、乗降口にステップをつけたそうです
D60に改造する際に先輪の直径が大きなものは選ばれたのは、脱線対策の一環でもありました
D50はポイント部分で先輪が脱線する事例が多く、特に重量貨物を牽引しているときに発生率が高かったとされています
原因は先輪の構造にあるとされていて、即座に改善することができなかったので、先輪を重くして対処した車両がありました
電光刑事さん、ご視聴頂きありがとうございました。都心部が電車のドアに合わせたのは分かるのですが、なぜ電車を低床で合わせられなかったのでしょうか?設計限界なのでしょうか?
@@Yukkuri-Lab あの当時の電車は基本的に抵抗制御で、床下に必要な機器を搭載するスペースが必要でした
また、電動機もそれなりの出力を求めると大きくならざるを得ず、台車の寸法もそれで決まってしまいます
現在のようにVVVFインバータと誘導電動機の組み合わせですと機器類の省力化が可能で、路面電車では屋根上に制御装置を設置して低床化するという方法が使われます
なるほどです。
一度ゲームマインクラフトで
E10と一緒に作ったことがありますよ!
結構よく違うゲームでデゴイチと共にD60も作ったりしてました!
和鉄D51さん、ご視聴頂きありがとうございました。?なんでD60であって、D50じゃないのでしょうか?関心はD60>D50なんでしょうか?とても気になりました。
@@Yukkuri-Lab さん
D51がいたため
D50の二軸バージョンと
D51の二軸バージョンは
D50=D60
D51=D61になったのだと
僕は思います!
なるほど D60は丙線の転車台に乗れなかった弱点もあったのですね 池田にも配置があったのも知りませんでした このチャンネルは蒸気機関車の勉強にもなります 有り難いです D60はバークシャーの中ではバランスがよく 使い勝手がよかったのかも知れません
まつかぜ82さん、いろいろご視聴頂きありがとうございます。
昔の動画は最近の動画の場合と違い、注意を払う度合いが低いと思われますので、コメント欄の視聴者様のご指摘も併せてご覧ください。
小学生の頃に、山口県に住んでいる親戚の家に行った時に親戚に連れて行ってもらった博物館に大きな蒸気機関車が展示してあったのを、覚えてます。
その蒸気機関車に、もう一回会いたいです。
ポップコーンの動画を撮影しました。
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございます。D60−1をご覧になったのですね。山口は近いのでいつでも行けますね。後で動画みますね。
D60を写しに筑豊本線に行ったのは昭和47年。九大本線からの転属車もあって直方機関区には総勢18両あり、昔に逆戻りしたと鉄道ジャーナルに書いてあった。ここではD51だとカメラを向けない人もいたな。複々線の区間なので次々とD60がやってきて退屈することもなかった
SKTさん、ご視聴ありがとうございます。
本命の列車を淡々と待つのも良いし、筑豊や室蘭のように飽きるほど蒸気がやってくるのもまた楽しかったですね。直方はいつも煙が深く漂っている街で今の常識ではあり得ない間違いなくでしたね。、
直方にも行きました。機関区に寄りたかったけど当時は機関区に入れる曜日と時間が限られていてタイミングが合わず入れなかったです。門デフの9600でも来ないかな、なんて思ってたらホントにジェット機の様な音を立ててやって来たのでびっくり!残念なのは2〜3週間の差でC55がいなくなったこととD50140を見れなかったことだな。
SKTさん、直方は確か水曜日が公開日だったかと。私はNHKの朝のニュースの背景にD50-140が直方にいるのを見て、サヨナラやったのになんで?という思いを抱いて急いで見に行きました。
めちゃくちゃカッコ良かったなぁ〜、あと秩父鉄道の貨物はいいね〜
0721さん、ご視聴頂きありがとうございました。
秩父の貨物本数も多いし見ていて楽しいです。C58が貨物を引くイベントあったらと期待しています。
それめちゃくちゃ見てみたいよね〜、最後尾は人の顔をしたオキフで
やはり、筑豊のイメージが、ありますね。改造機のせいか保存機が少ないのが残念です。
(「夜明け」で最初に思いついたのは、「石橋正次さん」でした。)
小樽築港機関区さん、D60は今回九州抜きでやろうと思ったのですが、資料が集まらず、冷水峠を入れました。
非難無ければ、キーワード歌唱をたまにやりたいです。
家の近くにあるd60は、直方汽車倶楽部の人達が綺麗にしてくれてるだから屋外展示なのにピカピカ、リンゲルマン濃度計?もついてる
ティバゴンさん、ご視聴頂きありがとうございました。直方汽車倶楽部さんはなめくじの10号機も綺麗にされていますね。
東北では北上線や磐越西線等でも使われたから保存機残して欲しかったですね。
すがさん、ご視聴頂きありがとうございました。確かに淘汰がブームの直前だったので、D60は東北ではあまり知られてないのかもしれませんね。大正時代の基本設計というだけで貴重だったのですが。
一つ質問です
D60が逆行運転がしやすいのは知ってますがテンダーがあるから速度はやはり制限されるのでしょうか?
サンナナさん、ご視聴頂きありがとうございました。
私が知っている限りでは逆行の場合の速度規制はないのではないでしょうか。
テンダーによって視界確保が難しい場合は制限がかかると聞きましたが機関車によるんですかね?
入換機ですとテンダーをカットしていますね。逆行後部補機は信号を確認する義務もタブレットを交換する義務もないので、逆行のデメリットはないんじゃないでしょうか。
C56の逆行は脱線リスクがかなりあったそうです。8620は逆行多いですけどね。
浜松工場はC59からC60への改造と、D50からD60への改造を両方手がけていたんですね。
どちらにしても改造後の配置先からは遠いのになぜだろう?と思いましたが、改造前の種車と同じ型式を整備点検していた経験が豊富だったのが決め手になったんでしょうか。
また、最後まで現役で残った61号機が、門デフ装着の状態で現在も保存されていると聞きました。
D60だから、旅客列車牽引機を格好良く見せる以外の理由が何かあったということなんでしょうか。
見るほどにミステリアスな機関車なので、いつか第3弾もよろしくお願いします。
成田さん、いつもご支援いただいておりありがとうございます。D60-61は野外保管の割に綺麗になっていますね。デフの交換ですが、デフは意外とクラック等がはいって寿命が短いのではないかと思っています。変形デフは面積が小さいので、耐久性があって、機関車が先に廃車になっても使いまわしできるのではないでしょうか?私の推測ですが。
煙を噴き上げさせる機能としてはあの面積で有効なんですね。
浜松工場は台車を作る車両メーカーとの距離や関係が密なのでしょうね。D60の場合、先台車も従台車も新しい設計になっています。
うわー、シブいですね。ところで 7:44あたりに映っている小っちゃい客車みたいなのは何だろう。
ねずみ色の猫さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。
雄別炭鉱鉄道の客車ですね。こちらに詳しいので是非ご覧ください。-> ruclips.net/video/QxGHFyAz-i0/видео.html
遅くなりましたが拝見しました。
"懐かしい" を通り越した以前の時代の様子を垣間見られました。有難うございます。
また近々D50/D60は取り上げたいと思います。
D60はD50をバークシャーに変えて 軸重軽減し丙線に入れるようにしたけど
全長が長すぎて地方ローカル線の小さい転車台に乗れないという問題を
当時の国鉄はそこら辺を考えていなかったのか これじゃ9600型が残ります
あと急行まりものC57は小樽築港機関区の所属のため 小樽~富良野間を牽引しておりました
ただ釧路機関区では急行まりもはエースでなく 朝9時半に出る小樽築港機関区のC57牽引の函館行き普通列車が看板列車だったそうです
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
まりもの牽引機関車ですが、様々年によって変化有るようです。
釧路朝の函館行き普通というのが看板というのは知りませんでした。もっともまりもだと夜に発車ですものね。
D60、D51の増備で余剰化したD50を改造したことになってますが、その改造範囲は多岐にわたります。むしろD51より高性能で評判良かったD50をリューアルして現場で使いやすくしたが本当のところではないでしょうか?同じように改造されたD61は晩年休車扱いでしたし…
Mr. Yattsunさん、そうですね。D50の出来が良かったから、D51の入れない丙線で使えたら、良いよなという事だったと思います。復元装置も台車も変えましたし。ネガを取り去ったというのは事実ですね。D61になると軸重軽くて空転ばかりだったが乗り心地が良いとか。でもD51と共通運用では意味ないですね。
D50と96、全長がそんなに違うのですね。従輪1つでも違いますね。
そしてD50の近代型、発展型がD51となるわけですね。
さゆりさんの能登半島は私自身もカラオケします。
蒸機とは全く関係ない雑学を1つ。森昌子さん、山口百恵さん、石川さゆりさんの3人が中学3年生の時、レコード会社はトリオにして売り出そうとしますが、さゆりさんだけヒット曲が出ない。そこで同じオーディション番組出身の同級生、桜田淳子さんと入れ替えて売り出しました。彼女だけレコード会社が違います。
くだらない雑学でした(笑)
小関さん、ご視聴いただきありがとうございます。桜田淳子でトリオでなかったでしたっけ?石川さゆりは演歌バリバリのイメージで、山口百恵はデビューの時からふぁんでした。
D60形は、直方機関区に配置されて、筑豊炭田の石炭輸送や冷水峠の補機として、筑豊本線で活躍した。
D50形の軽軸重化改造であったが、1D2の車軸は、D61やD62形よりもあります長持ちした。
大坂さん、D60はとても出来が良い機関車だったと思います。D62はもっと良かったと思っており、もう少し活躍できたのにと思っています。
@@Yukkuri-Lab 様、D62形は北海道で活躍出来るのに、最後は東北本線での貨物列車の牽引で終わったとは、短い運命だった。
10数年前に北上線にD51が走った時、沿線の鉄チャンにJR職員の方がオレンジカードを販売に来ました
その写真が北上線を走るD60重連の急行(列車名は忘れました…)でした。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございました。盛岡の北上線のD60は可愛いサイズの集煙装置付けているのd、とても特徴的で良いなぁと思います。今回はスキップしたので次の機会にぜひやりたいです。
これを見てまりも編成をHOで 作りたくなって来ました… D60は筑豊でタッチの差で見られなかったので、模型では真っ先に入手しました。宮沢のD60は安くてよく走ります(笑)
832buuchanさん、ご視聴いただきありがとうございます。まりもは小樽より南だとC62重連の写真が多く出てきますが、札幌からの編成は機関車含めかなり曖昧です。動画の写真はD60x2なのですが、季節によっては釧路には単機牽引のようです。寝台は札幌から連結だったと思います。
実はまりもは札幌からいきなり夜行寝台にガラッと変わりますね。ちゃんとその資料を見て今晩お返事します。
急行まりもがていねに変わる昭和42年の最終の編成は、キングスホビーから出ていて、最近アルモデルから復刻されている「往年の客車列車編成表」にありました。下りの函館→札幌は後ろから
オユ10
マニ60
スハ45×5
スロ52×2
スハ45
スハフ44
そして札幌→釧路は
オユ10
マニ60
オロネ10
ナハネフ10
オハネ17×4
スロ52
マシ35
スハ45
スハフ44
全く別の列車ですね。まりもとていねに分割するのが当たり前です。
写真のD60重連の引くのはその前3610以降の様ですね。
スハフ44
スハ45×4
マシ35
スロ52×2
札幌釧路間だけの
ナハネ11
スハネ30
マロネ29
尻尾にスユニ60+マニ60
の編成かもしれません。長文失礼しました。
教えていただきありがとうございます。私の人気の無かった急行まりもの動画を是非ご覧ください。
因みに九大本線や冷水峠の編成はオハ61系とスハ32系、オハ35系ではどれが多かったですか?また荷物/郵便車はハザとの合造車が主なのか、違ったのかもし分かればご教示ください。
折尾、博多間が不通になった時。直方のカマがブルトレを牽引しました。
堺さん、ご視聴頂きありがとうございます。あー、そういえばそんなことが合った記憶があります。
クハ42143が昇天したときの話ですか?直方駅でブルトレが筑豊線経由で迂回運転されるとの張り紙を見ましたが、実際の牽引機までは知りませんでした。
1D2の車軸配置の機関車では一番多く長く活躍できたのではないでしょうか?
同時期に製造されたC51に比べて長生きでしたね。
プラットホームが低かったのは客車にはステップがあるからで、ステップのない電車専用のホームは高くしたと伺っています。
十四音
十四音 さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。1D2バークシャー改造機の中で蒸気最後まで残ったのは凄いと思います。C51が無くなってから数年後の事ですね。
視聴者様から電車が高床なのは様々な機器をしまう場所を床下に確保するためのようです。
日本で最後に寝台列車を牽引した蒸気機関車についても取り上げて欲しい…
ご視聴頂きありがとうございます。大雪クズレのC58でしょうか?
@@Yukkuri-Lab
すいません、「寝台特急を」でした、
字足らずで申し訳無いです。ですが
大雪クズレやB寝台付夜行鈍行も出来れば併せて取り上げて欲しいです。
(寝台[付き夜行]鈍行/快速/急行/特急を牽引した最後の蒸気機関車について)
返信していただきありがとうございます
特集を組めるほど資料はないと思いますが、都度紹介していきたいです。サブチャンネルのショートで特急はくつるを製作しています。ご覧ください。 ruclips.net/user/shortsHE4PcYiK0pY
次の動画でもう少しBGMを大きくしていただけませんか?
フリット爺さん、BGMは意図的に小さくしているのです。大きくて説明が聞こえないというご意見いただきまして。今後メリハリ付けるように改善してみます。